センター概要 CENTER

理事長挨拶

理事長

建設の経緯

2002年のある日、県庁の幹部からグリーンピア指宿跡を購入してもらえないか、そして、再開発して南薩摩地区の活性化に協力してもらえないか、という相談がありました。私は、施設が大きすぎて業種も違うし、鹿児島市からも遠くて地の利も悪く再建は難しいとお断りしました。その後1年ほど経ったころ、今度は、指宿市長が東京にある私の事務所に訪れて、競争入札が不成立となり、このままではグリーンピア指宿は廃墟となって、犯罪の巣窟になるかもしれない、どうにか助けてほしいと頼まれました。その後、数回にわたり、市長は、私に考え直して欲しいと懇願されました。

当時、私が代表を務めている会社(新日本科学)は東証上場を控えておりました。ここまで成長できたのも地元の人たちのおかげだから郷土鹿児島に何らかの恩返しをすべきだろう、また、市長が何度も頭を下げて来られているし、何とかしなければという気持ちになりました。2004年春、入札に参加することを決断して6億円で落札、同年12月には年金機構からこの100万坪を超える広大な施設を譲り受けました。

既に施設は閉鎖して2年以上が経過しており、内装はかなり傷んでいました。施設内の道路は台風で倒れた木々で塞がれて草木が生い茂り、猪や鹿、ウサギなどの野生動物が我が物顔に走り回り、空には大型の猛禽類が何羽も飛んでいて、映画のジェラシックパークシーンのようでした。この風景は、10年以上経った今もはっきりと覚えています。

さて、この施設をどのようにして再開発するのか、鹿児島大学、鹿児島県庁、指宿市役所、鹿児島県医師会、鹿児島銀行の方々と話し合いを重ねたところ、鹿児島大学から先端医療を中核とした施設を作って、ホテル滞在型で健康志向の施設にしてはどうか、という提案がありました。そこで、先端医療として何をするか、という議論になり、粒子線治療はどうか、と鹿児島大学から提案がありました。

そこで、粒子線治療とはどのような治療なのかを調べるために、千葉県の放射線医学総合研究所、ボストンのマサチューセッツ総合病院、カリフォルニアのロマリンダ大学病院などを視察しました。そこでの概要は、粒子線治療には炭素線(重粒子線)と陽子線(プロトン)があり、重粒子線は陽子線よりも物理的エネルギーは強いが制御が難しく投資額も維持費用も高いこと、一方、陽子線はすでにアメリカにおいて臨床経験が豊富で数万例の実績があるということでしたので、私は陽子線を導入することにしました。しかし、投資総額を見積もると108億円にも上り、しかも、個人保証が条件と言うことでした。県医師会館で決意表明する前日の夜、私は、内心の葛藤を抱えて眠れませんでした。そして、早朝、夢の中で天啓ともいえる声を聴きました。「心配しなくても良い。この事業は誰かが継ぐから安心してやりなさい」と。朝の目覚めの爽快さはこれまで経験したことない素晴らしいものでした。これにより、私は事業の推進を決断しました。

以上の経緯を経て、メディポリス国際陽子線治療センターは建設され、2011年1月11日に最初の患者さんの治療を開始しました。

治療実績

2011年に治療開始した当初は、初期のがん患者さんに限定して治療を行っていましたが、治療実績が数百例を超えてきたころから、進行がんの患者さんでも抗がん剤を投与した後、原発巣に陽子線を当てて治療する方法や転移した病巣にQOL改善を目的として限局して陽子線を照射する治療法も実施するようになりました。特に、すい臓がんの陽子線治療は、予想以上の成果を出しており論文投稿を行うところです。

新たな挑戦と今後の展望

開設前からの研究開発目標であった乳がんの陽子線治療は、5年の歳月を経て臨床試験の段階に入り、すでに第1段階(Phase 1)を終了して、第2段階(Phase 2)に進んでいます。当初、困難と言われた乳房の固定も新規開発した固定装置(特許取得)により、がん病巣に陽子線を正確に照射できるようになり、また、皮膚の急性放射性皮膚炎もほとんど気にならないほどに軽減できるようになりました。今後、なるべく早く臨床試験を終了して、乳がんの標準的な治療法の候補の一つになれるようにしたいと思います。

これまでに2千例を超える患者さんの治療を行う中で、患者さんが何を望んでいるのか、あるいは何を改善してほしいのか、いろいろと学ばせていただきました。今後もこれらの経験を生かして、少しでも患者さんが苦痛を和らげていただくように職員一同、誠心誠意診療に尽くして行く所存でございます。何卒、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

一般社団法人 メディポリス医学研究所
メディポリス国際陽子線治療センター
理事長 永田良一